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1月から9月までのできごと [雑感]

また放置してしまいました。Facebookに比べて投稿方法が複雑だというのが大きな理由です。しかも、ソネブロは、たとえば Wordpress.com に比べると、ブラウザで書いている途中で自動保存されないので、たくさん書いた後で操作を誤って消してしまったこともあり、そういう経験もここから僕を遠ざけてしまいました。

iPhone のアプリで手軽になったかなと思ったのですが、画面が小さくて使いにくい。今回は iPad mini で試しています。

前回が去年の年末だったので、今日は今年の1月から9月までのできごとを簡単に振り返ることにします。

1月
娘の4歳の誕生日を祝いました。

3月
出張でフィラデルフィアを再訪。知っている友達が帰国してしまわないうちにまた行ってみたら?と妻を誘って、家族総出で行ってきました。

4月
娘が幼稚園に入園しました。

5月
連休は新潟から両親と弟、それに東京で別に暮らしている妹が加わり、横浜のホテルで過ごしました。

6月
アメリカにいた頃から娘がハローキティ好きだったこともあり、サンリオピューロランドに遊びに行きました。

目黒区にあら交通公園での練習の結果、息子が補助輪なしで自転車に乗れるようになりました。僕は恥ずかしながら小学校2年までできなかったので、親に似ず運動神経がよくて頼もしいですね。

7月
息子の6歳の誕生日を祝いました。

研究室に追加の書架を入れてもらったので、妻に研究室に来てもらって(もちろん子供たちも一緒)、けんあんだった、アメリカに行く前に自宅から研究室に運び込んだまま積んであった段ボール30箱以上の本を仕分けして、研究室に置くものは書架に入れ、その他、少数の自宅へ戻すものと、処分する(古本屋に売るか捨てる)に分けました。1年以上放置してあった懸案が解決してほっとしました。

8月
前半は2週間のイギリス出張。最初はロンドンでの小さな学会で友人(後輩)の発表を聞き、その後グラスゴーに移動して4年に1度の大きな学会のサテライトで初めてのポスター発表をしました。

いったん帰国して、近所の馬事公苑で、子供たちの幼稚園も参加した祭りに参加しました。

そのあとは1週間のアメリカ出張でカンザス大学に行きました。以前から懇意にしてもらっている先生(2年前に退職して名誉教授)に加えて、学生時代に1年留学した時に教わった先生(まだ健在で研究もしているとか)の後任の先生ともアポを取って会い、グラスゴーでの発表ポスターを材料に議論しました。

月末は、また新潟の両親と弟、妹で軽井沢に行きました。

この夏は、去年と違って、家族4人でのイベントが無かったのが心残りです。7月末に、妻の友人たちとの山小屋行きと、妻のまた別の友人とのオートキャンプ、という機会はあったのですが、行くと学会発表の準備が間に合わないと思って、妻と子供たちだけで行ってもらったのです。実際には、2つめのオートキャンプの方は、その2日前に娘がヘルパンギーナで高熱を出してドクターストップがかかったため、当日はもう熱は下がっていたのですが、娘との留守番になったのですけどね。

9月
8月にほとんど出払っていたので、研究以外の様々に溜まった仕事をしていました。1つトピックとしては、准教授から教授への昇格申請を出しました。研究業績の審査に加えて、教授会での投票があるのでなかなか緊張します。

これは書こうかどうか迷うところですが、国会前での安保法制案への反対デモに、参議院での成立の前日に、居てもたってもいられなくなって、足を運びました。といっても、参加したとは到底言えず、夕方前のまだ参加者が少ない時間帯にコールをして、あとは家事に支障が出ない時間には帰宅したのですけれどね。自衛隊にアメリカが自任する「世界の警察」の分担をさせるという今回の法制の本質は明らかに憲法違反で、これは、戦争参加の問題だけにとどまらず、憲法全体を無視していいのだということにつながるという意味で重大な問題なので、法案が成立した今も、何とか押し返さなければならないと思っています。そのために僕は何ができるのか、考えながから少しずつでも動いていきたいです。




年の瀬に生存報告 [雑感]

このブログも、すっかり放置状態になってしまいましたね…。私は生きております。

せっかく書いているので、前回の記事以降の主な出来事を列挙しておきます。

8月前半
新潟に帰省したのに合わせて、長岡の花火大会と、佐渡旅行に家族で行きました。
いったん自宅に戻った後、お盆休みの時期には、新潟の僕の両親と弟妹も一緒に、軽井沢に行きました。

8月末
学会発表のためにスイスのチューリヒに行きました。

11月頭
家族で、九州の阿蘇にある妻の叔母夫妻の別荘に寄せてもらいました。

12月20〜22日
仲間との合宿形式の研究会のために、田沢湖に行きました。子供を連れてきた参加者もいたので、僕も妻と子供たちを連れて行きました。子供たちは意気投合して大変楽しんでいたので、連れて行ってよかったです。

…イベントものとしては、こんなところでした。春にアメリカから戻ってからはいつも仕事に追いかけられている状態で、たまに暇があるときは家族のイベントが入っていたような気がします。でも、家族が全員揃って暮らせる年数は案外短いので、大事に過ごしたいと思います。(西原理恵子の『毎日かあさん』の最新巻で、息子があっさり旅立って行ったという話を読んで、長男が高校を出るまであとたった13年か…と少ししんみりしてしまったのです。)

これからも、このブログは細々と続けていく所存です。それでは良いお年を。

帰国してから4ヶ月 [雑感]

3月26日にアメリカから日本に帰国しました。もう4ヶ月も前のことですね…。

在外研究に出かけたときは、やるべきことは自分の研究だけだったので、生活基盤が整うまで焦って進める必要はなかったのですが、帰国して職場復帰、という場合は、待ったなしに仕事が押し寄せてきたので、それをこなすのに精一杯で、ブログには到底手が回らなかったのでした。そもそも、仕事のペースからして違っていて、こっちでの仕事のペースに順応するのにずいぶん時間がかかってしまいましたし。

今日記事を書くことができたのは、やっと前期の授業が終わったからです。

引っ越し一つとっても、日本で相方の実家に預かってもらった家財と、アメリカから運んだものの2つあったわけですから、2回引っ越ししたようなものです。前者は帰国してから10日ほどで届きましたが、上記の通り、僕が仕事に忙殺されていたために、荷物を開いて整理するのにずいぶん日数がかかってしまいました。アメリカからの荷物が届く5月末までには何とかしようということで間に合わせたら、またアメリカからの荷物の段ボールで部屋が埋まり、それもようやく片付いたといった具合です。

しかし、まだ引っ越しは終わっていません。

本に関しては、相方の実家の蔵(納屋)では湿気にやられるからということで、アメリカに持って行かなかったものは大学の僕の研究室に運び込んでありました。しめて段ボール40箱。 大部分が僕の研究関係の本で、これはもう自宅に持って帰るよりも研究室に置いておくべきものですが、そうではない、一般書もありますし、相方の本もあります。もっとも、そういうものも、子供のものがどんどん増えてきている自宅には置くスペースがなくなってきているので、大部分は処分しなければならないでしょう。

つまり、全部開封して、研究室の書棚に入れるもの、処分(売却ないし廃棄)するもの、自宅へ送るものに仕分けしなければなりません。授業期間中には到底手が付けられなかったので、授業のない、夏休み期間が勝負です。つまり、これから始めます。

研究室の書棚自体の整理も必要です。もちろん、研究費で買った本は処分できないわけですが、僕の場合、前の勤務校から14年前に移ってきたときに、登録を削除してもらってまで持ってきた本が結構たくさんあり、その多くが、今となっては、もう不要かな、とも思えます。そういうものは処分してしまわないことには、書棚のスペースが既に足りないように見えますし…。

しかし、夏休みを、そういう整理作業だけで終わらせるわけには行きません。授業期間にはまったく研究に手が付けられなかったので、夏休みこそ、かき入れ時だからです。ましてや、8月末には、スイスで開催される学会での発表が控えていますからその準備をしっかりやらなければならない。

実を言えば、嬉しいことに、去年の秋に大騒ぎで申請した科研費が採択されたので、 なおのこと、研究はしっかりやらなきゃならないわけです。後期に入ったら、授業期間中も研究をする体制を作らないといけないな…。独身時代と違って、自宅で子供がいる中で研究なんて不可能ですから、さしあたり手っ取り早いのは、アメリカでやっていたように、授業がなくても研究室に通うようにすることですね。ちょっと、通勤時間のロスが大きいのですけど。

…というわけで、これからはまた、このブログの記事も時々は書いていくつもりです。 


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新年に際して [雑感]

去年の締めの記事も書かないうちに年が明けて、もう2週間以上経ってしまいました。遅くなってしまいましたが、新年おめでとうございます。

うちでは、去年に続いて、おせち料理を全部手作りしました。

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この中で、僕がやったのは伊達巻きだけですが…。これは、去年も作りました。小学校5年の頃だったでしょうか、うちに電子レンジがやってきたとき、付属の説明書のレシピに伊達巻きの作り方が書いてあり、興味がわいて一度作ってみたことがあります。あまりにも手間がかかったので、その時1回だけしか作ったことがなかったのですが、その話を相方にしたら、ぜったい作って!という強い希望が出て、でも作り方なんか覚えてないし、と言ったらクックパッドでレシピを見つけてきたので、結局作ることになったという経緯でした。だから、今年も僕が伊達巻きを作る係、ということになったわけです。去年は1本だけ試しに焼いたという感じでしたが、今年は元旦に、小さな子供を連れて同じように在外研究・留学に来ている日本人の友人家族を招待したので、4本も焼きました。

去年の昆布巻きは、身欠きニシンがなかったので代わりに豚肉を使い、かんぴょうが実はアメリカでは手に入らないので、仕方なく太い糸でしばる、という窮余の策で相方が作ったのでした。今年はちゃんとしたものを作りたい、ということで、実は2~3月の一時帰国の時にかんぴょうを仕入れて持ってきていました。身欠きニシンも、僕の実家に頼んで、他のもの(子供へのクリスマスプレゼントなど)を送ってくれるときに一緒に送ってもらいました。

それにしても、相方がここまで手作りで頑張ったのはすごいです。日本にいたら伊達巻きや昆布巻き、栗きんとんあたりは買って済ませていたと思うのですが、ここの場合、買いたければニューヨーク近辺の日系スーパーまで自動車で往復5時間かけて行かなければならず、それでも満足なものが買えるとは限らないということで、去年というか一昨年の年末に、作れるものは作ってしまえ、ということになったわけです。今回もそれを踏襲したわけですが、明らかに去年よりもグレードは上がりましたからね。

相方は、日本に帰ってからも、おせちは手作りしようね、と言っています。もっとも、日本に帰った後は、正月に実家への帰省が入るだろうから、実際には難しいんじゃないかとも思いますが…。

(僕自身は、子供時代に正月は京都の両親の実家への帰省はありませんでした。当時住んでいた新潟から電車で7時間もかかるというのが大きな理由だと思います。だから、僕にとっては、正月というと、自分の家だけで過ごすもの、という感覚の方が自然なんですが、相方にはそんなことは言えないだろうな…。)

さて、今年ですが、3月末に日本への帰国を控え、既に準備を始めています。一番の懸案は、ここで暮らすために購入した家財一切の処理です。特に大きなもの、ベッドやソファ、ダイニングテーブルと椅子などが問題で、捨てるにもかなりのエネルギーが必要です。そこは相方がうまく考えて、アパートを探すときにお世話になった不動産業者の方に、もしも、我々の後にこの部屋を借りる人が、同じように日本から在外研究に来る人だったら、一式をこのまま動かさずに安く譲りたい、という話をしました。そうしたら、現状、その可能性のある人が出てきて連絡を取り合っているところです。もちろん、まだどうなるかは分かりませんが、うまくいけば、僕らは大幅に部屋を引き払う手間が小さくなるし、後から入る人にとっても、生活の立ち上げが簡単になるでしょう。うまく話が進めばな…と思っているところです。

2月の終わりには、相方の両親と叔母2人が遊びに来る予定です。実はこのブログに書き忘れていましたが、去年の7月には僕の母親と妹が遊びに来て、ニューヨークのブロードウェイ観劇やランカスター郡のアーミッシュ地域のペンションに泊まったりしました。今回も、季節は違いますが、基本的に同じことをする予定です。

それから3月のはじめには、相方の長年の夢だったオーロラ観測のために家族でアラスカ旅行にも行くことになりました。

こんな風に、帰国を控えて、駆け込み的に遊びの予定を入れている…というのが現状ですね。もっとも、実はこれは去年の夏ごろから既に始まっていたことでした。8月のはじめにはオートキャンプに行き、8月の終わりにはサンタフェをはじめとしたニューメキシコに家族旅行に行きました。9月は僕がアイオワに学会出張しただけですが、10月は家族でナイアガラとニューハンプシャーに行きました。11月は僕の学会出張にあわせて家族でアリゾナに巨大サボテンを見に行ったのは最近書いたとおりです。12月の19~26日には、クリスマスの家族旅行として、プエルトリコにも行きました(まだ記事を書いていませんが、近々書きます)。

はっきり言って、こんなに旅行ばかりしていて、本業の研究は?と問われたとしたら、うーん、確かに時間は削られているけれど、やるべきことはやっているから…としか答えられないですね。更に言えば、お金が続くの?という心配も正直あります。これに関しては、帰国に際して自家用車を処分するので、それで1万4000ドルぐらいは期待できるかも、という部分を正直、当てにしています。買った頃は1ドル=80円ほどで、今は1ドル=105円?ですから、ドルでの額面で見るよりも、値段の目減りは小さいですしね…。

帰国したら長男は幼稚園に通い始めるので、我が家も日本の一般的な学校カレンダーにしばられるようになります。そうなると、家族で旅行できる機会も減ってしまうだろうから、今のうちに…という気持ちもあります。もっとも、子供たちが旅行のことを後々まで覚えていてくれるかどうか、というのは心許ないんですけどね。何しろ4歳半と(もうすぐ)3歳ですから。

それでは、今年もよろしくお願いします!


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今年の反省 [雑感]

アメリカではまだ12月30日ですが、日本はもう31日ですし、ここで今年の反省など書いてみようと思います。

  • アメリカに来る準備も来てからの諸々も、色々と後手後手になってしまった。

いちばん大変だったのは、3月中旬、アパートを決めるためにアメリカに滞在している間に、日本の自宅を引き払うという離れ業を強いられたことでした。相方にも、荷物を預かってもらっている相方の実家にも大変な負担をかけてしまいました。アメリカに来てからも、主に、運転免許関係の手続きが後手を踏んでしまい、自動車のない宙ぶらりんな生活を1ヶ月近くやることになってしまいました。運転免許の実技試験も、今となっては遠い昔のようですが、あんなに苦労するとは思わなかったなあ。あと、先日の選挙で投票できなかったのも、在外投票の手続きが遅れたせいでした。

  • アメリカに来て、やるつもりだった仕事が遅々として進んでいない。

生データを分析してラベリングする作業を、最初の目論見では夏前に終わらせるつもりだったのですが、遅れに遅れて未だにやっています。これが終わらないと、それを元にした論文を書き始めることもできないので、逃げることはできないんですよね。それがきついです。研究のほかに、こっちでは、翻訳1本、著書1本を書きたいと思っていたんですが、こっちにいる残りの期間(あと1年3ヶ月)でそれができるかどうか。授業や雑務がなくなっても、案外、時間ってできないものなんだなあ、と思い知らされました。

  • もっと勉強しなきゃ。

翻訳と著書の目論見同様、本もたくさん読んで勉強するつもりだったのですが、ほとんど読めていないです。上記の、研究の下作業の遅れで他のことに時間が使えない、という苦しさもあるんですが、こんなはずではなかったというのが正直なところです。日本では通勤電車でその手の本を読んでいたので、こっちでの通勤時間の短さが逆に災いしているという感じもあります。でも、来年はもっと時間の使い方を上手くしなければ。

  • 家族との時間は大切にできたかな。

言葉の通じない海外なので、どうしても家族の面倒を見ることが増えた、という必然性もあるんですが、でも、3歳半の息子ともうすぐ2歳の娘の“今”を逃したくないという欲求もありました。その欲求がいくらかでも満たされる環境で良かったと思っています。日本にいたらどうしても仕事優先になってしまったと思うので。相方との時間も含めて、これが今年、いちばん良かったことなんだろうなと思います。

年の瀬に過ぎた年を反省するなんて、今までやったことはなかったんですが、アメリカでは新年が“普通の休日”以上のものではないので、年が変わる気分を少しでも盛り上げるために、やってみました。

暮れになって急に、そう言えばおせち料理はどうしよう、なんてことをうちでは考えて、結局はできる限り自力で作る、ということに落ち着きました。ニューヨークまで行けば、出来合いのおせちも買えるんですが、やっぱり往復4時間というのはキツイし、相方が出来合いを潔しとしないんですよね。そのため、今日は伊達巻きを焼き、黒豆を乾燥状態から圧力鍋で煮て、紅白なますも作りました。あとは明日、昆布巻きとたたきゴボウとのっぺい汁(新潟の郷土料理)を作り、元日には昆布だし、西京味噌仕立ての雑煮を作る予定です。

初詣は諦めました。そもそも、アメリカには、神社は西海岸のワシントン州に一つあるだけなんだそうです。フィラデルフィアの近くでは、ニューヨークのビルの一室に神道国際学会が設けた“神社”があるそうですが、写真を見る限り、どちらかというと神棚に近いようです。それだったら、2月にビザ更新のために一時帰国する予定があるので、月遅れでも“本物”に行く方がいいかな、と思っています。

さて、それでは皆様、良いお年を!


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