SSブログ

就職活動中の学生と新卒採用活動中の企業に告ぐ! [社会]

3月は卒業の季節ですが、僕のような者にとっては、自分の手で卒業を阻む羽目になってしまう可能性のある季節でもあります。

今の職場では基本的に1~2年生しか教えないので、そういう可能性は減っているはずなんですが、必修科目にもかかわらず、単位を4年まで取り残してしまう学生が結構いるのも事実。4年では済まず、5年、6年、中には瀬戸際の8年なんてのもいます。理解できないのは、そういう学生たちの出席状況が良くないこと。いや、ほとんどは全然顔を出さないという方が正確です。いったい何を考えているのか?たとえ試験だけ出てきても、授業6割試験4割で点数を付けることは公表してあるので、当然不可を付けることになります。

別の大学に勤める友人の話では、卒業年次の学生の中には、必修科目が複数開講されている場合、入れられるところに片っ端から入れてしまうのがいるらしいです。それで保険をかけた気になって、どれにも出ないことが多い、と。 確かに、卒業年次生は人数は多くても出席しないだけでなく、試験も受けないのがかなりの割合を占めるので、他の同じ科目で取れそうだから捨てたのかな、と解釈できます。

僕の今回の件はその裏返しでしょうか。試験だけ受けてきた学生ですが、卒業発表で自分の名前がなく、慌てて僕宛てに懇願のメールを送ってきました。曰く、就職がなかなか決まらず、しかも脳の病気(メンヘルのこと?)に苦しめられてあまり出席できなかったが発表は何度かした。ひょっとすると出来が悪いから発表したと数えてもらえていないのかも知れない。就職は決まって研修も始まっているので卒業できないと困る。父が病気で働けないので、家計を考えると卒業できない場合大学をやめてフリーターになるしかないかも知れない。病気については診断書の画像を添付します。……そうした上で、大学事務室から「成績調査」の依頼をしてきました。

ちょっと待ちたまえ。事実に誤認がある。僕の記録では、君は1回も発表していない。出席者が少ない授業なので、毎回名簿は1周以上するけれども、呼んだときに返事がなかったからだ。たまたま1周に満たなかった時にいたのかも知れないが、僕の認識では、君は最初の登録カードを提出する時と最後の試験にしか来ていない。そもそも、平常点は発表だけを対象に付けると公表してある。しかも、他に事情で出席が思わしくない学生で単位を取りたい者は大抵、来た時に「課題を出して頂けませんか」と願い出てきており、本当はそんなことをする義理などないと思いつつ、最履修者専用という科目の性質を考慮して課題を出している。君だって、授業に来たことがあるのならそれくらいできたはずだ。

そんなわけで、と言うより、成績調査はあくまで調査であって、成績変更願ではないので、点数の付け方に間違いはなかったか確認した上で、説明欄があったので、そこに何故不可になったのか説明をして返送しました。(因みに、成績変更を行う場合は、試験答案とか出席状況・平常点の記録などの「物的証拠」を大学に提出する必要があります。) 学生からは、前期の試験は確かに受験した、納得できないというメールが再び来ましたが、返事はしませんでした。それまでのメールにも返事はしていません。事後でも交渉可能だという印象を与えてはいけないし、試験を2回とも受けて両方満点だったとしても、40点にしかならないことを改めて説明する責任などこちらには無いからです。

僕は過去に、僕の科目を落として卒業できなかった学生に、自宅まで来られたことが2回あります。そのうちの1回は、本人だけじゃなく、九州から上京してきた父親の相手までする羽目になりました。1994年の3月のことだったでしょうか。僕はまだ20代で専任の職もなく、父親から「このおかげで息子の人生は目茶苦茶になる」と言われて返す言葉がありませんでした。確かに当時は前回の就職氷河期の真っ只中で、折角就職が決まっているのに、と気の毒に感じたのは事実です。でも、成績を付ける時は、卒業年次だからといって色を付けることはせず、点数が取れない学生には普通に不可を付けるという、当然のことをしただけです。そもそも、卒業に必要な単位を揃えるのは学生の責任なのに。僕に言われても困る、大学で正規の手続きを取れば対応する、と言って引き下がってもらいました。恐らくその大学にはそういう学生を救済する手続きなどはなく、その学生は留年しました。そてい、あろうことか翌年も僕の科目を取ってきましたが、何とかその年は点数が足りて卒業していきました。

もう1回は、本来1年で取るべきその科目を3年の時に僕のクラスで取って出席(発表)不足/皆無で落としていた学生でした。4年でも僕の科目を取り、前期は全く出席せずに試験の時に来て「何とかしてもらえませんか」と言ってきました。後期を全出席などして頑張ればまだ点数は足りるはずだから、と僕が答えたにもかかわらず、後期も顔を出さない。そして恐らく、就職の内定が取れた11月になって初めて現れて「何とかして下さい!」と訴えてきました。しかし、もう遅い、どうやっても点数は足りないだろう、でも、だからといって授業に出ないと英語力が落ちて翌年の合格も危うくなるだろうから授業に出ることだけは認める、そんな対応をしました。

その学生は、その後はきちんと出席し、内容的にも頑張っていたと思います。だから、不公平にならない範囲で何とか単位を出せないか、色々な要素の点数配分を公表しているものに矛盾しない範囲で操作したり、100点満点は変わらない方法で平均点を高くなるような計算をしたり(平方根を10倍、つまり81点→90点、64点→80点、49点→70点、36点→60点、25点→50点、のようにしたり、それでは上げすぎだと思ったらそれと素点の平均を取ったり)色々工夫して、それは同じクラスの受講者全員が影響を受けるわけだけれども、そういうことをした結果、やはり無理だというわけで不可を付けたわけです。

既に単位は出せないと断言したわけだから、それ以上懇願される理由など無いのだけれど、自宅にやってきて「私、卒業できなかったら何をするか分かりませんよ」と半ば強迫まがいのことまで言われて、何て因果な商売だ…と思ったものです。

それもこれも、結局は就職活動のために学生がろくに大学に来られないという状況が生み出していることだ、というのが実感です。あるいは、学業よりも就職を上に見る風潮もです。昨日の朝日新聞朝刊の「私の視点」で、拓殖大学の先生が、3年次から就職活動が始まることを取り上げて「良い人材を早く確保したいという企業側の思惑が大学から人材育成の時間と機会を奪い去り、企業は期待外れな新人を嘆く」と書いていますが全く同感です。大学、ひいては教育に注文を付けるだけ付けておいての企業のこの行動は、二重基準だと言わざるを得ません。『就活のバカヤロー』という新書が最近出ましたが、正にそう叫びたい気持ちです(その本自体の内容は、期待したほど「バカヤロー」と言っていない歯切れの悪さがあるのですが)。

その拓大の先生は、大部分の学生は就職活動を事実上3ヶ月ぐらいで終えているので(それにあふれた一部の学生が延々と就職活動を続けることを強いられるのが、この記事で書いた悲劇の元ではあるわけですが)、就職協定復活にあたり、内定解禁は4年次の1月、つまり卒業の3ヶ月前にするべきではないかと提案しています。これは僕の学生時代の10月1日と比べても大幅に遅く、昨今問題になっている「内定取り消し」が起こりにくいという利点もあるわけですが、これだと4年の後期、つまり学業の締めくくりの時期が就職活動で死んでしまいます。10月1日というのは夏休み中に就職活動をすること前提にしていて、フライング企業が出ない限りは合理的な日程だったと思うのですが、現状が続くようならいっそ、欧米の一部の国のように、卒業した後で初めて就職活動をはじめる、つまり新卒採用という枠組みを無くすくらいの荒療治が必要になるのかも知れません。

長々と書きましたが、言いたいことは、企業よ、学生を教室に返せ!ということと、学生よ、学業を就職より下に見るのならいっそ大学などやめてしまえ、学業をきちんとやって卒業したということが前提となっての就職なのだということを肝に銘じろ、ということです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

本棚購入ベビー用品の検討 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。