ブリンマー大学 [地域]
僕らが住んでいるところの近くに、津田塾大学の創始者である津田梅子が通ったブリンマー大学(Bryn Mawr Collet)という女子大があります。一度は見に行ってみたいと思っていたのですが、この週末にようやく行くことができました。
紅葉散策には、少しだけ遅すぎたのですが、それでもきれいなキャンパスでした。何故かキャンパス中心にはハンモックがかけてあり、そこで本を読んでいる男性もいました。僕らの子供たちは、やっぱり大はしゃぎです。
ひとしきり散策したら、グッズを買って帰りました。
ハロウィーン [生活]
ハロウィーン、日本でも盛んになってきたそうですね。ここ、アメリカではもちろん盛んです!
先週の土曜日に、近所(Narberth)の商店街で、ハロウィーン・スタンプラリーがあったので参加してきました。対象の店に行くと、魔女や怪物がいて、スタンプを押してくれるのです。
この店にいたのは「良い魔女(good witch)」だそうです。
息子の扮装はフック船長。去年はピーターパンだったのですけどね。まあ、確かにフック船長の方が、いろいろな面で見栄えがします。
娘の方は、ハローキティです。去年はティンカーベルにしようとして、ただの「薄緑色の服を着た子供」になってしまったので、今年は相方が手作りしました(しっぽも付いています)。ハローキティは、意外なほどアメリカで普及していて、娘も最近はまっているのでした。娘は英語で覚えたので、キティではなく「ケリー」と言っています。しかし、耳のカチューシャをなかなか付けたがらず、この写真では何とか付けてくれたのですが、大部分の時間は、「しっぽつきのピンクの服を着た子供」状態でした…。
ハロウィーン本番は、アメリカ時間で昨日のことでした。子供たちと相方は、夕食前にまた 同じ扮装でNarberth に行って今度は民家に trick or treat をしてきました。相当力の入っている家が多くて面白かったようですが、僕はパスしたので、写真は相方からもらうまでありません…。
科研費応募手続き完了 [仕事]
僕は大学の専任教員となってから今年で20年なのですが、恥ずかしながら、今まで一度も、科研費(科学研究費助成事業)に、自分が研究代表者として応募したことがありませんでした。最初の6年間在籍していた女子短大では、そもそも、学内で募集の周知すらされていなかったような気がします。それに、当時の僕は研究よりも教育にエネルギーを注いでいて、学会発表自体あまりしていなかったので、そういうものに応募という発想自体が薄かったと思います。
2000年に今の四年制大学に移ったところ、科研費に限らず、様々な研究助成の情報が事務から回ってくるようになりました。そもそも、大学教員は研究者+教員ですから、研究を盛んにやって成果を出さないといけない、という意識は元々あったものの、研究活動を盛んにやっていることのバロメーターが、科研費の受け入れ、あるいは、それに先立つ応募なのだ、ということを、遅ればせながら意識したのは、その頃だったと思います。先輩や後輩の科研費応募に、研究分担者として入れてもらった(けれども、採択はされなかった)のも、その頃のことだったかな…。
その後は、体(脳)を壊してそれどころではない状況が数年続きました。体を壊した原因のかなりの部分は、本を書くために心身を削ったことにあると、今では思っています。しかし、そのおかげもあって、その頃出会った隣接の工学分野の研究者が、僕を科研費のプロジェクトに入れてくれる、という有り難い展開がありました。それが2005~7年、2008~10年、2011~13年、と3年×3回続いています。2005~7年の時は、まだ研究分担者でも予算配分はなくて謝金をもらっただけでしたが(今の連携研究者と同じ扱い)、2008年以降は予算の配分を受けています。
それは有り難いことであるとともに、予算を消化するのも大変なんだな、と思ったのが正直なところです。何しろ、科研費の旅費は、学会に行く場合、発表しないと支出できないからです。でもそれは、僕にとっては、研究を盛んにやるというインセンティブの役割も果たしました。
そのプロジェクトは来年以降も更に発展させて続けるということで、今回の応募にも研究分担者として入れてもらっているのですが、他人のプロジェクトに入っているだけではなく、自分でも応募しなければという気持ちになってきたので、今回は自分単独でも応募することにしました。今いる大学の研究助成課のスタッフから勧められたというのもあります。去年も勧められたのですが、在外研究をもう1年延長するということで断ったという経緯がありました。(科研費への応募を推進することは、研究助成課の存在意義の大きなものでもあるし、大学の方針でもあります。研究費を集めることが、大学の飯のタネを集めることにもなるし、大学そのものの評価にも関わるから当然ですね。)
いや、本当は、もっと前から、自分でも応募したいという気持ちだけはあったのです。しかし、応募書類を作成する時期が、後期の授業を始める時期とぶつかり、何とかしなければと思っているうちに時間切れ、とういうことを繰り返していたのでした。その点、今年はアメリカで研究をしているだけですから、書類作成のための時間は確保できます。こういうタイミングで応募できないとしたら、また来年以降も時間がなくて応募できないということの繰り返しになってしまう…という危機感がありました。それで、何とか今年は応募へとこぎ着けたわけです。(ニューイングランドへの旅行を入れてしまったのは、時間的にはきつかったです…。でも何とかなってよかった。)
研究助成課のスタッフが申請書の内容に赤字を入れてくれて、僕が修正して再提出、というのを2回繰り返しました。なるほどね…ここまでやってくれるのなら、もっと早く出せたのかも、というのが今の感想です。
さて、果たしてこれが採択されるかどうか? 内容の新奇性には自信があるのですが、問題は、僕の研究遂行能力をどのように見てくれるか、ですね。今までの僕の研究成果は、小さな会議でしか発表していないので…。仮に、研究分担者として入っているものと、両方採択されてしまったら、研究費の消化には相当苦労しそうですが、そんな心配は、「当たって」からにしておきます。
家族旅行(ナイアガラとニューハンプシャー):後半:ニューハンプシャーの紅葉 [旅]
ナイアガラからニューハンプシャーまでは長旅です。まずはアメリカへ再入国ですが、週末でカナダからアメリカに行く人がとても多く、入国審査は自動車の長蛇の列でした。それだけで2時間半ほどかかってしまいました。そこからは、I-90をひたすら東へ。朝ホテルを出たのが9時半、マサチューセッツ州中部スプリングフィールドのホテルに着いたのが夜7時なので、10時間近くかかってしまいました。
スプリングフィールドはバスケットボールが発明された土地で、泊まったホテルの隣にはバスケットボールの殿堂もあったのですが、今回の目的はあくまでも紅葉なので、これはスルーしました。
ニューハンプシャーは、北部まで行かなくても、中部で十分に紅葉は見頃ということで、アイビーリーグの一角ダートマス大学のあるハノーバーを目指すことにしました。スプリングフィールドから I-91を北上すること2時間です。
着いたら、散策前に、ベーカリーで昼食にしました。
散策は、ダートマス大学のキャンパス周辺にしました。と言っても、こういう大学町ではキャンパスとキャンパス外の区別は無いに等しいのですけどね。これは学生社交クラブの寮の前の紅葉です。
近くに寄ってみると、燃えるような赤とオレンジでした。
実際のところ、紅葉一色というわけではなかったのですが、去年のバーモントではこんなに発色のいい紅葉を見られたという記憶がないので、今年再挑戦してみてよかったと思います。
息子が女子大生(?)をナンパしているところ。とにかく、こういう果敢さには感心します。
紅葉見物が終わったら、この日の最終目的地、ニューハンプシャー州ポーツマスへ向かいます。日露戦争の講和条約が締結された土地ですが、僕たちの目当てはシーフードです。今回の旅行は、ここまでは「食」に期待できるような土地に行かなかったので(実際に行ってみると、特にカナダでの食事が貧しいものだった)、最後に「食」の満足が得られるようにと考えたわけです。レストランに歩いて行けるように(相方も僕も酒を飲めるように)、街中のホテルにしたほどです。
実は、前の晩からトリップアドバイザーでレストランを物色していました。最終的に、「サーフ」というこの店にしました。"Serious Seafood" というスローガンが頼もしいですね。
僕たちが食べたのは、生のハマグリ、ニューイングランド・クラムチャウダー、 かにサラダ、ポルトガル風シーフードシチュー、そして蒸しロブスターでした。とても美味しくて、相方は大喜びでした。生のハマグリって、日本では食べないですよねえ。多分、刺身にするには小さすぎるから?
明けてコロンブス・デーの祝日の月曜日。前の晩は食べるだけで町を散策できなかったので、少しだけ散歩をしました。ポーツマスは、入り江に面した港町です。
日本人がポーツマスに行ったら、やっぱり本当はポーツマス条約関係の史跡などを見たいところなのですが、ここからフィラデルフィアまでは6時間かかり、連休の最終日で混雑も予想されたので、早々に出発しました。
帰りの道中でも、コネティカット州の途中までは紅葉が楽しめました。今年はちょうどいい時期に旅行できたということなのでしょうね。
ニューハンプシャーに行ったことで、僕の「アメリカ50州踏破」は46州まで来ました。残るのは、インディアナ、ノースダコタ、サウスダコタ、ユタの4つです。ユタは国立公園がいくつもあるので、行く理由は簡単に見つかるのですが、残りの3州が問題ですね…。
家族旅行(ナイアガラとニューハンプシャー):前半:ナイアガラの滝 [旅]
先週の水曜日(10月9日)から今週の月曜日(10月12日=コロンブス・デーの祝日)まで、家族でナイアガラの滝と、ニューハンプシャー州の紅葉を見る旅行に行ってきました。自家用車での旅です。
元々は、コロンブス・デーの3連休を利用して、ナイアガラの滝を見に行きたい、という相方の提案から始まったのですが、それならば、僕のアメリカ50州踏破のために、ニューハンプシャーにも行きたいという僕の希望も入れさせてもらったというわけです。去年バーモントに見に行った紅葉が期待外れだったので、今年再挑戦しようかという意味合いもありました。そのため、本来の3連休から大幅にはみ出すことになり、子供たちはその分、プレスクールを休むことになったのですが、帰国まで残り少ないのだから、家族でできるだけ楽しむことを優先しようという気持ちでした。(来月のアリゾナもその一環とも言えます。)
フィラデルフィアからナイアガラまでは車で7時間はかかります。1日でそれだけ動くのはちょっと大変なので、去年、ウエストバージニアに行ったときと同じように、2日分に刻むことにしました。水曜日は、午前の子供たちのプレスクールが終わってからの出発ということにして、4時間あまり行ったところの、ニューヨーク州シラキュースで途中泊ということにしました。道中、アレンタウンを過ぎて、ペンシルベニア州とニューヨーク州の境界地域は、比較的紅葉が進んでいて景色がよかったです。
2日目は、シラキュースからナイアガラ・フォールズまで2時間半あまり。こちらは、西へ向かうほど紅葉が減っていきました。実はナイアガラ周辺での紅葉も期待していた僕たちにとっては、ちょっと残念でしたね。
アメリカ→カナダの国境越えは、拍子抜けするほどあっけなかったです。僕は1999年に、ミシガン州北部のスー・セント・マリー(Sault Ste. Marie)でカナダとの陸路での国境越えをしたことがありますが、その時よりも簡単だったかも。あの時は、車から降りて、建物内で手続きをさせられたのですが、今回は完全に自動車に乗ったままで済んでしまいました。あるいは、あれから15年近く経って、手続きが合理化されたのかも知れません。僕らは今ビザでアメリカに滞在しているので、その関係で、もう少し面倒なことになるのかな、とも思ったのですけど。
カナダ側のナイアガラ・フォールズに着いたら早速観光です。まずは、テーブル・ロックからのカナダ滝。「乗り越えたら危険」という表示がある塀に子供たちは登ってしまってますが…。
次は、観光船「霧の乙女号 (Maid of the Mist)」に乗って、アメリカ滝。
霧の乙女号で、カナダ滝の滝つぼの水しぶきに突っ込んだところ。これが最高に楽しかったですね。
翌日金曜日は、ナイアガラの滝から北上(下流方向)して、ナイアガラ川の河口、オンタリオ湖畔のナイアガラ・オン・ザ・レイク (Niagara-on-the-Lake) の町に行きました。これは、その道中のナイアガラ川の景色です。紅葉していたらもっとすばらしい景色だったと思うのですが、これでも十分にきれいですね。
ナイアガラ・オン・ザ・レイクは、いかにも、アメリカとの対比を強調してヨーロッパ風に仕上げてあるな、という感じの町でした。過去に行った場所では、西海岸のバンクーバー島にあるビクトリアもこんな感じだったな。
この時点では、ここから更にオンタリオ州を北上して、紅葉が楽しめる場所はないか探索したいと思っていたのです。前の晩にホテルで調べても、オンタリオ湖に近いところの情報がないけれども、行ってみれば何とかなるんじゃないかと思っていました。(片道2時間ほど北上すれば見頃になっているという情報ならあったのですが。)
しかし、我々が使っているカーナビはアメリカ国内のデータしかなくてカナダでは使えないし、iPhone のナビゲーションも、国境を越えた時点で、回線がローミング状態になり、データ通信に別料金を取られるということがネックになって使えない。そのために地図を買ってはみたものの、しばらく東進したところで、当てもなく遠出しても仕方がないよねと相方と話し合って断念して、紅葉に関しては、旅行後半のニューハンプシャー州に賭けようということに決めました。(実を言えば、ニューハンプシャー州は、紅葉情報を詳しく見られる iPhone 用のアプリがあって、その情報で、この週末がピークの見頃だということが分かっていたのでした。)
オンタリオ湖畔の小さな公園で昼食にしました。食べたのは、ナイアガラ・オン・ザ・レイクの欧風ベーカリーで買ったパイです。よく見ると、対岸のトロントの摩天楼が見えていました。
この日その後は、子供たちへのサービスとして、チョウ園に行き、市内の観覧車に乗りました。それで終わりかと思っていたのですが、ホテルで夜10時頃、寝ようとしていたら、外から花火の音が聞こえました。窓から見てみると…。
アメリカ滝の前あたりで花火が上がっていたのでした。夏の間、週末の夜10時に上がるという情報は見て知っていたのですが、この夜に上がるというのは予想外でした。確かに金曜日の夜でしたけれど、もう夏は終わっていたので。それと、ホテルは、値段の安い「滝が見えない」部屋を予約していたのですが、恐らくはゴールドメンバーの恩典で「滝が見える」部屋にアップグレードされていたか、このホテル自体が、ほとんど滝が見える部屋しかないという感じだったので(少なくとも、僕らが泊まった階はそうでした。もっと低い階だと見えなかったのかも知れません)、そういう幸運も手伝ってこの花火が見えたというわけですね。
旅行の後半は、次の記事にします。